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家族も役所も警察署も裁判所もグル。


親切を装って近づいてくる。
このヒトは自分の味方かもしれない?。
でも結局、工作員の一人・・・。
陰湿で卑劣な奴ら。

皆で口裏を合わせて、完全犯罪。
家族も役所も警察署も裁判所もグル。
この国は完全に腐っている。
立派な事を言っても、一皮むけば同じ。
皆、偽善者。


「みっちー」さんのブログ紹介。

みちのあしあと  白い願い
http://michifujisawa.blog46.fc2.com/blog-entry-618.html


******「みっちー」さんのブログより抜粋******

2011.04.24

白い願い

 私は霧の中をさまよっていた。何度自問しても答えは出ない。やられる前にやらないと。なぜ? 自分が産んだ子供じゃない。
 中学に入ってから母の攻撃性は増し、娘を捕まえてはあんたが悪い、人を責めるから友達ができないと言って、中学の先生に毎日電話して母が信仰している宗教の勧誘をして娘が学校で

叩かれるようにし向けた。同級生のことを話題に出せば人を馬鹿にしていると罵り、娘の存在自体を否定し続けた。

 引き返せた時が何度もあった。それを悉く跳ね返し悪い方へ引きずっていった。母は宗教狂いだった。支配的で足るを知らずに、一つでは満足できず次の宗教に救済を求めかけもちして

いた。母が何をやりたいのか子供から見ても矛盾し、破綻を来たしていた。困った時だけ救済を求め、何でも思うようにならないと気が済まない。母はきっと子供なんていらなかったのだ

。自分が一番でなければ気が済まない。母の友人の恵子は同じ宗教の信者で会社の同僚だった。夫がデザイン会社の社長で、今は社長夫人ということになる。私はずっと、恵子には本来人

の上に立てる器などないことを察していた。恵子はお母さんが学校の先生に勧誘をしたから今があるのだと全く逆のことを言って聞かせた。母と恵子が悪巧みを働いて邪魔をしていること

は薄々知っていた。私に時間の感覚があったのはこのときまでだった。

 中学二年生のある朝起きると母はだれかと電話をしていた。暫くして自宅におしいってきた男二人に注射を打たれ、車で押し込まれた。父は車を運転し、男が私を抑えた。目が覚めると

精神病院にいた。大量の薬物を飲まされた。体操の時間に看護士の目を盗み、精神病院から逃げ出した。大量の薬物で体力を奪われ、足元はふらついていた。横須賀の病院を出て、泣きな

がら走り続けた。お腹がすいたら公園の水を飲んだ。コンビニで食べ物を盗んで警察に捕まろうかと思ったけどその手を引っ込めた。悪意が心を掠めたのはお腹がすいていたからではなか

った。二日かけてたどり着いたのは家族で出かけたことのある横浜市内のかみきビルだった。鎌倉街道からかみきビルの階段を上った。私は屋上のマンホールの中にいた。真っ暗な中で拾

ったライターをかちかちならすと消えたり光った。お母さんはなぜ私をこんな目に遭わせて平気でいられるんだろう。私は人間不信に陥り、誰とも口を利かなかった。毎日毎日あの病院で

行われていることを思うと吐きそうだった。今までにどれだけの人がこうやって闇から闇へと消されていったんだろう。やる側にならなければ生き残れない世界。そう思いこまされている

のだ。

 両親は教団関係者に連絡し、すぐ捜索を開始するだろうと思った。公にすれば虐待がばれてしまう。正式な捜索願いは出せないはずだ。
 
 マンホールから光が射し込んでいる。
「誰?」
「俺はようへい。ここに住んでる。施設にぶちこまれたから逃げてきた」
「私は雪。精神病院から逃げてここにきたの」私は脅えながら言った。
「そう。怖がらなくていいよ。俺は捕まえる側の人間じゃないから」

 たけは奥に本を持っていて、読んで教えてくれた。学校と同じように二人で授業をした。明け方にビルから出るゴミを漁って食べた。食べ物には困らなかった。そのうち知っている精肉

店のおばさんが残りをくれるようになった。
 あるとき二人の姿を見たおばさんが話しかけてきた。
「どうしてここにいるの?」
「お母さんは私のことが嫌いだから、帰ると精神病院に入れられるの」

 母と変わらぬ年のおばさんは私の頭をなでて何か買いなさいといい、千円をくれた。私はお菓子を買ってたけと半分ずつし、鉛筆とノートを買った。ようへいは自分で話を作って紙にか

いてくれた。ようへいは子供だけで暮らせる楽園の話を聞かせてくれた。掘っ立て小屋に暮らす子供達の絵を熱心に描いていた。連れ去られることに怯えなくていい、そんな世界があった

らいい。夜は警備員に見つからないようにホールの中に潜って、ようへいの描いた物語をなぞった。

 ようへいと私は管を割り、水を出した。
 娘の逃亡先を知った両親は伏兵をよこした。マンホールには恵子や宗教の信者がやって来て家に戻るようにとしつこく迫った。恵子はまだ子供の私に「家族を捨てたんだ、親の面倒を見

なければいけない」と脅迫じみたドスを効かせた。
「恵子さんの夫が社長でいられるのは裏でこういうことをやってるからなんですね」私は石を投げて追い返した。

 ようへいはすかさず足を出してすっころばせた。恵子は足を引きずりながら帰っていった。
 十五歳になっていた。顔見知りになった市の職員の説得で短期ステイで施設に入ると母が現れ、支給された補助金を奪っていった。母の鬼の形相を見て、私は食欲をなくした。姿は見せ

ないが、父が車で近くまで来ていることも知っていた。その後ろには黒い組織が待機している。
 マンホールに戻ってから友達が増えた。たかちゃんはデパートでパパに殴られ、さまよっているところをみつけた。

 たかちゃんは風邪をこじらせて死んだ。七歳だった。みんなで手を握った。たかちゃんは「一緒にいてくれてありがとう」と言った。夜の川原でたかちゃんを燃やした。しゅんくんはた

けの施設にいた、たけの弟分。たけが施設を脱そう繰り返すうちにマンホールに住み着くようになった。でも夏に警察に捕まったまま帰って来なかった。何か悪いことをやったの? とよ

うへいに聞いてみたけど、分からない、遠くの施設に送られたのかもしれないと繰り返すだけだった。

「遠くって新幹線に乗るくらい?」
「うん。そうだよ。歩いてはここまで帰ってこられない」
「私たちも警察に捕まったらそうなるかもしれないね」
 私たちは歌を歌った。

 ともちゃんは私が施設に入ったときそのままついてきた。お金が憎いと言って体を売っている。男はその時だけ優しいという。私はどうするのだろう。市の職員やボランティアが代わる

代わる訪ねてきて名刺をおいていく。私にはその笑顔が狐の顔に見えた。なぜそんなに必死に通いつめるのかしら。一人捕まえるとボーナスでも貰えるのかしら。自分より少ない年数しか

生きていない人を問いつめるなら随分楽でいい。でも社会は下降線を辿り続け、成熟しない。
 デパートから聞こえてくる歌を歌っていた。
「歌が好きなの」

 おじさんが声をかけてきて隣の区にあるお店につれていってくれた。歌手になりたいと思った。おじさんはジャズ協会の理事に選ばれていると言って雑誌を見せてくれた。雑誌にはおじ

さんの店が掲載されていた。家で音楽を聞こうと言って家につれていって私に乱暴をした。朝目が覚める前に覆いかぶさっていて逃げられないようにされていた。このままここにいたらま

た黒い男達がきて精神病院につれていかれる。私はまた逃げた。この人も善意を装って私を潰そうとする追っ手の一人だった。学歴や肩書きが道を示してくれたことがあっただろうか。世

界は大人の欲望に溢れている。ようやく私は目を覚ました。

 施設職員の中に熱心なおばさんがいた。秋元順子は子供がなかなか心を開かないことを心得ていて慎重に接しているようだった。私はもしやと思い、順子に尋ねた。
「親が親権を放棄してね、里親に育てられたのよ」
 私は順子に嫉妬とも親しみとも取れぬ感情を抱き、暫く距離を置いた。仕事をするにも住所がないのでできない。かみきビルにやってきた大道芸を見てボール遊びを教わりサーカス団と

行動をともにしたが、一人が芸をして目を引き、客の財布をすっている芸人を見てそっと抜け出した。一般人には見抜けない瞬間芸だった。それが見えてしまう自分が嫌になった。

 病院とか施設とかもうまっぴらだ。私は虫歯を治すために一時的に保険証をもらったり、施設と関係を持ちながら十八歳になるのを待った。私は国からの助成金で市営住宅に入り一人暮

らしを始めた。役所の人の勧めでカウンセリングにも通うように進められ治療を始めた。

 久しぶりに横須賀の実家に帰ると留守のようだった。窓を覗いても誰もいない。車庫には潰れた車が止まっていた。ゴミ箱を足蹴に物置から二階に上りベランダ伝いに家に上がった。学

校帰りに家に入れなかった時使っていた裏技だった。電話帳を見て恵子に連絡をとると母は私が入院していた精神病院に、父は刑務所にいるという。慌てて駆けつけると病院側は難色を示

し、押し問答の末面会が許可された。ナースセンターにはあの時と同じ巨体の米ちゃんが座っていた。病室で見た母は目が宙を泳ぎ、隙間を埋めるように絶え間なく喉を鳴らていた。ベッ

ドに座った私に、前のベッドの人がうるさいんだと子供のように言い、しおらしく「まだ親を恨んでるの?」と言った。私は「ううん、もう恨んでないよ」と刺激しない言葉を宛がうしか

なかった。ここは病院で医者の監視下にある。気にくわないことがあれば面会謝絶にされるだろうと思うと何も言えなかった。母は自分がしたことの重大性を未だに全く理解していなかっ

た。今日は夕飯が楽しみだと浮かれた様子だった。どんな時も自分のことばかり。悪意がなかったといえば何でも通ると思っているの。

 父の刑務所に行ったが、破棄は失せ半分くらいに薄くなっていた。何の罪で捕まったのかと思えば飲酒運転での人身事故だった。気の弱い父らしいと思った。父は自分には罪がないとい

とでもいいたげに無言だった。

 私は自分の生活に戻り、仕事を探した。これならじぶんにも出来そうだ。午前中、週三回。マンションの清掃の仕事に就いた。インターネットを覚え、ブログで小説を発表しはじめたが

、退院した母はそのささやかな楽しみさえ奪った。電話番号を調べ、電話をかけてきて金を返せと言った。もう生きる場所も違う。放っておけばいいではないか。とにかく、どこに行って

も誰かが声をかけ調子を乱そうとしてくる。私は実の親を完全に見放した。背後には父がいる。母=宗教団体にとって生存者の存在は虐待を助長していると公表されているのと同じ、社会

に強いインパクトで影響を与える。一九七〇年に起きた「言論出版妨害事件」で象徴されるように、組織に批判的な作品を発表させてはならないのだ。この事件を機に言論の自由への侵害

は目に見えない形でより陰湿な圧力へと変わっていった。私はたかちゃんの分まで生きなければならない。私の死を望んでいる者にその通りの現実を与えてはいけない。私は先天性か虐待

の影響か分からないが、映像で見たほうが頭に入った。いくつか文学賞に応募してみたが、受かる筈もなかった。コネ、親、組織。個人氏のデジタル版を立ち上げた。最低限の生活はでき

る。でもそこからはいあがることはできない。親自身の手ではいあがれないようにしたのだ。

 小説家志望の人たちが集まる掲示板で知り合った人たちは、親がいて学歴があって健康で、私より何倍も恵まれている人たちが僻みをぶつけてきた。これは作品ではない。私はそれを「

苦しみの垂れ流し」と呼んでいた。すぐに離れた。
 一人でいること、だけど実家で親といた時に比べたら天国だった。ここには朝目覚めて誰かに連れ去られることはない。私は利益や名誉のために書いているのではない。だがいくら断っ

ても、悪意の勧誘が後を絶たなかった。気付かなければ幸せでいられたのに。従う者でなければ困るのよ。なぜ大の大人が毎日ゲームのような日常にどっぷり浸かって殺し屋のように子供

に付きまとうの。他人を利用し、我が子を犠牲にして、世間に恨みをぶつける側の人間にみんな取り込まれていった。憎しみにまみれた世界で私は今日も小説を書いている。

 好き勝手やったせいで、あなた達には老後の面倒を見てくれる人も葬式を出してくれる人もいないわ。お金だけはあってどう、幸せ? 困った時だけ助けてくれなんて都合の良いことを

いわないでちょうだいね。
 窓を見上げると景色がなくなっていた。白い消しゴムが街をけしていく。サンタさんは願いを叶えてくれた。小さい雪がたかちゃんやようへいと一緒に道路を駆け回っている姿が見えた



(了)

******「みっちー」さんのブログより抜粋******

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